うちには10名の作業スタッフがいる。
みんなそれぞれ特性があり、こちらがあれこれ指示しなくともよく働いてくれる。
10名は大きく「R」と「L」の二つのグループに分かれており、
メインの作業は「R」、そのサポートは「L」とされているが、
その実情はもっと複雑であり、
他の機関との兼ね合いを図りつつ、目的達成のためスタッフ全員で作業を進めていってくれており、
ここは基本的に責任者である私が干渉する立場にはない。
実は、昨日書いた「足」という乗り物とも綿密に連携しており、
そちらのサポートもかなり以前から任されていて、そのメンテナンスまでやらせてもらっている。
スタッフたちの仕事も多岐にわたり、
私でさえその内容は把握できていないほどだ。
自主的に動いてくれる部分が大きく、
よほどの時は私から命令を出すこともあるが、
多くはほぼオートメーション化されている。
逆に私が指令を出した時の方が作業が遅れる傾向にある。
「ある場所を軽い力で3回擦れ」とか、その強さや回数まで指定すると却って仕事が遅い。
こういうのはスタッフに任せておくのがいいのだ。
太く力強い者、細く繊細な者、役に立っていないようでも居なくなるとその重要性のわかる者、いつも陰ながらサポートしてくれる者、先頭に立って働いてくれる者、それぞれがなくてはならない掛け替えのないスタッフばかりなのだ。
その上なんと、私の心の状態まで様々な方法で表現してくれる。
イライラしているとき、心静かなとき、うれしいとき、悲しいとき、その時々に応じてたくさんの表現力を使って心の内を奏でてくれるのだ。
私はそのスタッフのために何をしてあげているだろう?
たまに迷惑な指示を出すくらいで、ほぼ邪魔しているだけかもしれない。
そんな頼りない責任者であるのだが、スタッフたちは粉骨砕身働いてくれる。本当に最高のスタッフなのだ。
そのスタッフたちに何か恩返しをしてあげようと思うのだが、どうすれば喜んでくれるのかわからない。
どうやらスタッフたちは、私のために働いてくれているというよりも、
私の存在さえあまり気にしていないのではないかと思う時がある。
私は自分のことを彼らの頼られるリーダーだと思い込んでいたが、向こうはそういう認識ではないのかとふと思う。
もしかすると、スタッフは私で、使われているのは私自身ではないかと思うようになって来たのだ。
私が手や足というものを使いこなしていたというのはただの錯覚や思い込みで、
私はただそこにいるだけの、ただの迷惑な居候なのではないのかなと。
たまに出す指令はおよそ迷惑なことが多い。
気まぐれで朝令暮改なことがほとんどだ。
ちょっと小耳に入れた噂で浅はかな指令をだしたり、
そんなに無理させたら壊れてしまうということも、
こうだと思い込んだり場当たり的に指令を出す。
つくづく自分というものが分からなくなってくる。
自分は支配者であって、乗り物やスタッフも私のモノだと思っていたのだ。
しかし、そう思っていたのは自分だけで、全体にとってはただただ迷惑な一部機関でしかなかったのかもしれない。
時には暴君にもなり、時には迷惑なくらいやさしくなったり。
ただスタッフは確実に休息を取る。
ある時間になると強制的に私の電源を落とす。
私は電源を落とされそうになると、それに抵抗せずにその時を待つ。
電源を落とされたらその後のことはまったく知らない。
そして翌日、朝日が昇ると共に、
こんな私への電源もちゃんと入れてくれて、
乗り物は勝手に動きはじめ、
スタッフたちも昼間の作業を開始する。
今日はどんな無理難題を言われるかもしれないのに、
なんともありがたいことだ。
こういうのって、
「生かされている」
っていうのかもしれない。
しんちゃんが3歳の頃、しんちゃんママは雨上がりに滑って右手首骨折。しんちゃんと顔なじみのラーメン屋さんによく昼食を食べに行きました。女将さんが「ちびちゃん、これ食べな!」といろいろサービスしてくれました。同じ棟の友人が「多めに作ったから!」と言って、毎日、夕食のおかずを届けてくれました。骨折して不自由だったけれど、みんなのやさしさがうれしかった。だんだん、左手で調理できるようになりました。
しんちゃんママさん
いいお話ですね〜。
「親の恩は子で送る」じゃないですけど、受けた御恩は次へと送っていくといういい連鎖になれば理想的ですよね。(^_^)