なんだか当たり前にやっていることだけど、
「今日は寒いですね」と書かれた文字を読むのと、
「きょうはさむいですね」という言葉を聞くのとでは、
視覚と聴覚という別の器官から入力された情報なのに、
そんなことはあまり意識することなく、
「今日は寒いですね」を理解している。
でもいきなり近所のおばちゃんが「いっつこ〜つでぃ (It’s cold today.)」と喋ってきたら、
おそらく「え? なんて?」って聞き直しちゃうだろう。
まさかおばちゃんがいきなり英語を喋ると思わないから、発する音を意味の取れない日本語と思って、
日本語変換できないからだ。
これでおばちゃんの頭の上に「It’s cold today.」と吹き出しが出れば、びっくりするけど理解は出来る。
近所のおばちゃんじゃなくて、そのおばちゃんちの評判の美人な娘さんが、
「今日は寒いですね (^_^)」と挨拶してくれると、
そのチャーミングな微笑みばかりが気になって、
なんて話しかけられたのか?それはそれでわからなくなってしまう。
近頃は、ニュース番組の中での街頭インタビューでは、
画面の下に字幕スーパーが出ることが多いが、
耳ではインタビューを聞いているが、表示される字幕スーパーも読んでいる。
どちらが優先されるのかというと、字幕スーパーの方かもしれない。
以前NHKの番組だったかで、何人かの人に天気予報の番組を見せて、
明日は「全国的に晴れ」と言う「晴れマーク」を表示しながら、音声では雨が降るような解説した。
それを見ていた人はみんな、「明日は晴れ」と言う認識を持っていた。
画面で「晴れマーク」を見たら、解説でよほど印象深く言わない限りは、その「晴れマーク」しか印象に残らない。
仮に、自分で発した言葉が、マンガの吹き出しみたいに頭の上に文字として表示されたら、
みんな吹き出しの文字ばかり見て、こちらが喋っていることはろくに聞かなくなるのだろうか?
心の中に思ったことが、頭の上に吹き出しで表示されたらたまったもんじゃない。
人は思うほど、人の話は聞いていないし、
人の話を聞くふりして、次に何を喋ってやろうかと考えていることが多い。
適当に相槌を打ちながら、次に話すことを考えている。
それは頭の中で、文字として考えているのか?それとも言葉として考えているのか?
どっちだろう? 喋ろうとする言葉の漢字も思い浮かべながら考えているだろうか?
どうだろう?
パソコンのキーボードを叩いて文章を作るのと、
ペンで書きながら文章を作るのでは、
文章は違うのだろうか?
これは、曲を作るときに、
ギターで作曲するのと、ピアノで作曲するのでは違いが出るのと一緒なのだろうか?
今まで、手紙を書くときには、便箋にいきなり万年筆で書くことはせずに、
パソコン上で文章を考えて下書きをして、その下書きを見ながら万年筆で便箋に書いていた。
書き損じたときに、修正テープやミスノンを使わずに済むように。
一度、いきなり万年筆で手紙を書き始めたら、
ダラダラと文章が長くなってしまって収拾つかなくなったことがある。
誤字脱字もすぐに修正できて、構成も自由自在のパソコンでの入力が早くて楽なのだが、
どうも読み返してみると、ダラダラであってもいきなり便箋に向かった文章の方が味わいがあるようにも感じる。
文字が書けなくなったときに、口で喋ったことを記述してもらうやり方もあるという。
今では、スマートフォンでも音声入力が出来る。
その場合の文章は、どんな感じになるのか。
きっと後で文章を校正したり、大きく手直しするのだろうが、本質的には変わらないものなのだろうか。
今度自分で試してみたいと思う。
考える頭が一緒だし、適当な頭だからさしてかわらないかもしれないけど。
耳が遠くなったせいなんだか、テレビのニュース等ナレーションに合わせて字幕を流していただくと、理解しやすいですね。
ヒアリングだけじゃ脳が追い付かなこの頃かなと…
Akiさん
字幕とナレーションと聴き比べて、その相違点を探すのが楽しいです。「ら抜き」は訂正され、内容もやや要約され、「てにをは」も修正されているのを見つけるとちょっとニヤッとしてしまいます。
でも頭に入ってくるのは、字幕の方ばかり。日本語ってやっぱり聞き取りづらいです。
おもしろいです。そして、深いですね。
私は聴覚が良くないので、文字に起こさなければなりません。文字も変換を間違えたら正確ではないので、やはり活字、特に漢字での表記が欲しいです。
名詞は別ですが、ひらがな、カタカナはイメージがしにくいです。
漢字を入れた表記は、景色や匂いまで想像できて記憶できます。
慣れていないアルファベットからは、そういうものを感じ取ることに時間が掛かります。私、英語のヒヤリングが全くダメでした。
日本語は、許容範囲が広い分、難しいですが、深いと感じます。
カラスさん
日本語がそもそも何を言っているのかよくわからないところもありますし、微妙に言葉をあやふやにすることができる言語でありますから、深読みしたり、間をとることでも意味合いが変わってくるので、おっしゃられるように難しくもあり奥深いものかもしれません。
私も英語のヒヤリングは全くダメでした。読む方はまだマシだったのは、英語教育の問題だったのか、そもそも自分の特性だったのかわかりません。
テレビでの街頭インタビューも、字幕がない時は喋っている人の顔や表情、そして服装などばかり見て、喋っていることはほとんど聴いていなかったと思います。
「なんか知らんけど、怒ってたみたい」って。(^_^)
漢字は便利ですね。
同じ発音をベースにした韓国は漢字を捨てて、ハングルのみで、苦労しないのかな?
一般人さん
日本語に関しては義務教育万歳!って感じです。ハングルはよく知りませんが、表音文字とのことなので、ひらがなだけで書いてあるようなものなのでしょうか? だとすると、識字率は上昇するかもしれませんが、その後色々苦労しそうですねぇ。
自分の確信というものをメインに構成しているのが視覚情報か聴覚情報か・・つらつら考えていたらどうやら俺の確信はいい加減な視覚情報と、適当な聴覚情報から捏造された一種の妄想を多くの場合よりどころにしているという事がわかってきた。視>聴>味>嗅>触の順にいい加減なような気がするね、俺の場合。
あかいみさん
おっしゃる通り。
「いい加減な視覚情報と、適当な聴覚情報から捏造された一種の妄想」
それそれ、それだよね。そこに過去のほんの僅かな成功譚がさらに妄想を膨張させている可能性が高い。
「視>聴>味>嗅>触の順」
私も同じかなぁ?「味」と「嗅」の順が微妙なところ。
これも時と場合によるけどね。
英会話は所属会のグループに入ってからも続け40歳近くまでやってたのかなぁ…英語と一口に言っても日本語で言う東北弁や関西弁みたいにすごく訛りもあれば個人差も激しい。そんな中カレン・カーペンターの活舌の良さって突出してましたねー。英会話をやっててたどり着いた結論は、『オレにちゃんと聞こえるように話してくれ!』解らないのは自分のせいではなく相手の発音が良くないってw、まあ耳の遠くなった今ではちょっと言えませんけど、当時はホントにそう思ってました、若かったなー
Akiさん
思い返してみると、どこかの学生時代の英語の授業で、カーペンターズの曲を聴いたことがありました。これを聴いて英語に慣れよう!みたいな感じ。コメントを読んで納得しました。